天皇陛下の大おばにあたる三笠宮妃百合子さまが、15日朝早く、老衰のため逝去されました。百合子さまのこれまでの歩みを振り返ります。
百合子さまは、上皇さまのおじにあたる故・三笠宮さまのきさきで、記録の残る皇族では最長寿の101歳。大正・昭和・平成・令和と、激動の時代を生き抜かれた生涯でした。
3月に入院後は、口から水分や食事を取ることはできないものの、落ち着いた状態が続き、6月には101歳の誕生日を迎えられました。
前日にも病院を訪れた孫の彬子さまは、そのときの様子について、「きょう100歳最後の日でございますねとお話ししたら、うん、とおっしゃっていらっしゃいましたし、毎日リハビリをなさって」と明かされていました。
翌日の誕生日当日にはご家族から病院で祝福を受け、つい最近まで車いすに座るなど、体調は比較的安定されていました。
空襲により宮邸が全焼し、5人のお子さまに恵まれるも、長男の寬仁さま、次男の桂宮さま、三男の高円宮さまと3人の息子に先立たれるなど、大きな悲しみを何度も経験されたご夫妻。
百合子さまは、多才な三笠宮さまの活動を献身的に支えられました。
スケートなどの普及に力を注がれた際には、小学生の天皇陛下のお姿もありました。
そして「オリエントの宮さま」として親しまれた三笠宮さまの研究者としての活動も支え、75年の長きにわたり、連れ添われました。
結婚70周年を迎えた2011年には、文書で感想を寄せられました。
百合子さまは「余り頑健でない私を、いつもいたわってくださった宮様のおかげで今日まで長生きできましたこと感謝の言葉もございません」と記されていました。
母子愛育会の総裁を長年務め、母子の健康に心を寄せられたほか、日本文化の普及にも尽力されました。
度重なる病気を乗り越え、2024年3月に入院するまでは、お住まいの宮邸で新聞各紙に目を通したり、テレビで野球の中継を見るなど穏やかな日々を過ごされていました。